歴史上の人物にキャッチコピー! ~戦国時代編 その3~
勝手にコピーを付けてしまう、この企画。
戦国時代偏の3回目になります。
※写真はイメージ
前回はこちらです→歴史上の人物にキャッチコピー! ~戦国時代編その2~
今回は趣向を変えて、出来事にキャッチコピーを付けてみました。
・時代に負けた最強の部隊
・謎多き、六・二一事件
・天下を我が手に!
それではどうぞ!
まずはこの出来事。
長篠の戦い(ナガシノノタタカイ)
概要
織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼により、長篠城(現愛知県新城市)をめぐり行われた合戦。武田軍には当時最強と謳われる騎馬隊がいましたが、織田・徳川連合軍は当時としては異例の、3,000丁もの鉄砲を用意。さらに三段撃ちと呼ばれる新戦法により、武田軍最強の騎馬隊を壊滅させた戦いです。
そんな長篠の戦いに付けるコピーは、
時代に負けた最強の部隊
最強と謳われていた部隊も、鉄砲を使用するという時代の波には勝てなかったようです。
武田軍の奢り(おごり)もあったのかもしれません。
続いてはこの出来事。
本能寺の変(ホンノウジノヘン)
概要
京都は本能寺に宿泊していた織田信長に対して、家臣の明智光秀がおこしたクーデター。天下統一間近の信長は、各地に部隊を派遣していたため、信長自身の近辺は守りが手薄に。その隙を狙い、家臣の光秀が信長を攻め自害に追い込んだ歴史的大事件。首謀者は光秀とされていますが、豊臣秀吉や徳川家康の陰謀も絡んでいたのでは? というような諸説が多くあり、真相は謎に包まれている部分が多くあります。
そんな本能寺の変に付けるコピーは、
謎多き、六・二一事件
真相は闇に包まれていますが、事件は確実に起きました。近代日本のクーデターを象徴する二・二六事件に匹敵するため、あえてこの名称にしてみました。
最後はこの出来事。
関ヶ原の戦い(セキガハラノタタカイ)
概要
豊臣秀吉の死により主権争いが勃発し、徳川家康を中心とする派閥と、そうではない派閥が分かれ行われた、天下分け目の大一番です。この戦いを中心に全国各地で合戦が繰り広げられ、最終的には徳川家康が勝利。名実ともに天下人として全国を納めるようになりました。
そんな関ヶ原の戦いに付けるコピーは、
天下を我が手に!
関ヶ原の戦い以後、徳川家による統治が260年以上続いた事実があるでの、単純ですがやはりこれしかないと思います。
次回は、幕末編をお送りいたします。
<<西 康三>>

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