歴史上の人物にキャッチコピー! ~戦国時代編 その1~

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歴史上の人物にスポットを当てるこの企画。
有名な人物はもちろん、なかなか注目されない人物にもスポットを当て、
キャッチコピーを付けてみました。

独自の判断で国内海問わず、さまざまな人物に注目!
一回目となる今回は、戦国時代編です。

●覚悟ありますか?
●誇りを忘れた人たちへ......。
●腕力よりも知力を。知力よりも意地を。

さて、これは誰のコピーでしょうか?


まずはこの人。
成瀬 正成(ナルセ マサナリ)

略歴
戦国時代から江戸時代前期にかけての徳川氏の家臣。
幼少時から徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いで小姓組にて初陣を飾る。この戦で多くの戦績を挙げ、わずか19才(17才という説もあり)という異例の早さで一軍の将に出世。 多くの活躍をした成瀬は豊臣秀吉から誘われるが、「主君は家康のみ」として断る。
死の間際、家康が眠る日光東照宮に向かうと言いだしたため、家臣たちは籠を担ぎ、日光に向かうふりをしたと伝えられている。享年59才。

......なんとも一途です。そんな成瀬正成のキャッチコピーは、

覚悟ありますか?

死を目前にしながらも、主君を思う気持ち。成瀬正成からの問いかけは現代の社会人に一石を投じてくれます。



続いてはこの人。
馬場 信春(ババ ノブハル)

略歴
かの有名な武田二十四将の一人であり、武田三代に渡り仕えた名将。信玄の代になり頭角を現し、侍大将に出世する。「川中島の戦い」、「三増峠の戦い」、「三方ヶ原の戦い」など、多くの戦に参戦。70回を越える戦に参加したと伝えられているが、最後の戦となる「長篠の戦い」まで無傷だったと伝わっている。また駿河国侵攻では今川氏の財宝が焼失するのを惜しんだ信玄が財宝を運び出すように指示するが、「貪欲な武将として後世の物笑いになる」として、財宝を再び火中に投げ込んだという逸話も。勝頼の代、長篠の戦いで殿(しんがり)を務め討死。享年61才。

......男です。そんな馬場信春にはこのキャッチコピー

誇りを忘れた人たちへ......。

お金にも目が眩まず、重臣ながらも殿(しんがり)を務めた武将としての誇りが見えたのでこのコピーを付けました。成瀬正成と同じく、馬場信春の生き方は現代の社会に通じるものが感じられます。



最後は知っている人も多いこの人。
柴田 勝家(シバタ カツイエ)

略歴
織田信秀、信勝、信長、信孝に仕えた武将。
歴史でその名が頻繁に登場するのは信長時代。兄信長を殺そうとした信勝に仕えていたため、はじめは信長に信用されていなかった。しかし、武略と忠誠心を評価され、重臣として活躍しはじめる。武骨な上に、多くの戦績を残している勝家だけに、合戦での話が目立つが、政治力も秀でていたと伝わる。
本能寺の変後は、信長の三男信勝に仕え、後継者に推したが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が推す秀信が後継者に。その後は後輩にあたる秀吉と立場が逆転するが、秀吉の配下にはならず対立。賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、妻お市と自害。享年62才。

......やはり男です。そんな柴田勝家にはこのキャッチコピー、

腕力よりも知力を。知力よりも意地を。

秀吉の配下に入れば、自害することはなかったと思います。武力に秀で、知力にも秀でた柴田勝家でしたが、最後は先輩の意地、または武将としての意地で自分の信念を曲げなかったのだと思い、このコピーを付けてみました。


まとめ
もう少しおもしろいキャッチコピーを付けたかったのですが、各人の歴史を辿ると、3人とも自分の信念に従い生きていたことがわかります。
そんな思いにふけっていると、ついついまじめなコピーになってしまいました。


次回は「戦国時代編 その②」をお送りします。





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